型から入るという大事
〜行動という「かたち」から内面を変化させていく〜
礼儀作法や良いとされる様々な型。
その良いとされる型を繰り返して身につけることで、その意図される内面も身についていく。
型が創るもの。育むもの。
空手では、型の順番や形は教えるが、初めから意味や理由など教えません。
分からなくても覚えるまで繰り返し、覚えてからも淡々と繰り返す。
形を直し、動きを直しながら、正しい力や軌跡、技として使え、そして心を添わしていけるように。
技という型を練ることで、格体を育み、心を育む。
こうして繰り返し練ることで、考える。想像する。
そして上手くなっていく。
分かってから動こうとするのではなく、分からなくてもまず、その通りに真似して動く。
動いてみるから、その結果が得られる。気づく。
気づくから修正できる。
より上手くなるために深く観察する。
その繰り返しで身について行く。
頭で解るのではなく、自分の体に染み込ませていく。
「腑に落ちる」ということ。
腑とは臓腑(五臓六腑に)の腑。
体に染み込ませるということの表現は、昔から頭ででなく腹(肚)に表す。
頭 ⇒ 思考
体 ⇒ 感覚
感覚(意識)から超感覚(無意識)にまで染み込んで初めて自分のものとなるということ。
机上の空論
絵に描いた餅
頭で考えるんじゃなく、教わったままやる。
体に染み込ませていく。
記憶は薄れるが、感覚は呼び覚まされる。
自分の解釈を入れず、まずその型の通りにやる。
覚える
やれる
使いこなす
応用できる
極める
意味が分からなくても、型通りにやっていけば良くなる。使いこなせるようになる。
意味が分かっていても、行わなければ良くならない。使いこなせない。
その違いだけ。
初めは気持がなくても、やってみて形になってくると内面は変化する。
頭が大きくなってバランスを崩さないように、まずは体を作り込む。骨格を作ることにも似ている。
思ったことを行動に移せるように。
見たこと教わったことを形にできるように。
自分の想いを形にできるように。
型から学ぶ。
そして、型に魂を入れていく。
形も中身も等しくなっていき、それが真(誠)の形になっていく。
その真の形に至るには、求めて繰り返し続けるしかない。
礼儀作法や様々な良いとされる様々な型。
その良いとされる型を繰り返して身につけることで、その意図される内面も身についていく。
体を整えることは同様に、心を整えていくことや、思ったことを実現していくためにも必須条件といえる。