本当の治癒に向かうために
たとえば発熱とか何か症状が出た時、
苦しかったり辛かったりする事を止めることが、体の力を損ねてしまうことが多くあります。
風邪や発熱、鼻水、頭痛、下痢、発疹などなど。
出す必要があるものを薬で止めてしまうから、最後まで出しきれず中で留めてしまう。
解消しきれないから残ってしまう。
その繰り返しで蓄積してしまい、その根は絡み合い解けにくくなる。
薬を飲み続けることで効き目も薄くなるから、より強い薬に頼ったり、副作用も蓄積してしまう。
気がつくと体の力を発揮しなくても痛みなどが消えてしまうから、体が治す力を発揮する必要が少なくなってしまい、治す力が衰える。
しまいには余計に薬が手放せなくなるという悪循環。
そして原因となる核が見えなくなるから、出てくる現象にしか目が行かなくなる。
これは、全て放っておいてよいということを言っているわけではない。
末期的状況の大きな病気や危険な症状などがそう。
薬や手術など必要のある(と思える)ものもあるだろう。
それにしても、本当に治す道に向かうのは、その後が大事。
なぜ、その状態になったのか?
熱を出して発散する必要性
血圧を上げてまで押し流す必要性
痛めることで習慣や体使いの違いに気づかせる必要性
ホルモンバランスや代謝、体のリズムを崩してしまう感度の問題に気づかせる必要性
などなど。
薬や治療で症状が仮に(あえて仮にという)治ったとしても、その思考や習慣が変わらなければ同じ症状は繰り返される。
ヘルニアの手術をして腰痛を再発しなかった人は、僕が今まで見てきた中にはほぼいない。
それは、いくら取り除いても、同じところに負担がかかる思考や習慣が変わらないから。
本当の治癒のためには、自分が変わらなければならない。
今のままでは違うよっていうサインだから、変わらなければ繰り返す。
ただそれだけ。
これが慢性になって深くなるか、急性として一過性のものとして終わらせられるかの違い。
それ以前からサインは表れている。
初めはね、とても小さな芽なんだよ。
元を辿れば、感情や些細な生理欲求、自己表現など。
それが積み重なり、少しずつバランスが崩れ、次第に痛みやコリ、代謝異常へと重いサインへと移っていくもの。
だからこそ、その根っこのところに気づくことはとても大切なことだ。
思い出そう。
そう、自分の奥に蓋をしてしまったものに。